2016年12月4日日曜日

【書評】『歩を金にする法』升田幸三

「新手一生」の言葉通り、最後まで創造的な将棋に取り組んだ名人、升田幸三。終戦直後、日本を統治していたGHQが「将棋は相手から奪った駒を味方として使うことができるが、これは捕虜虐待の思想に繋がる野蛮なゲームである」として将棋を禁止しようとしたとき、将棋連盟の代表としての彼の反論は、彼独自の将棋観を理解するのにぴったりです。「将棋は人材を有効に活用する合理的なゲームである。チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿の民主主義やレディーファーストの思想に反するではないか」

著者紹介

升田幸三。将棋棋士。実力制第4代名人。木見金治郎九段門下。棋士番号は18番です。広島県双三郡三良坂町(現三次市)生まれです。1991年4月5日(満73歳没)に惜しまれながらこの世を去りました。詳しくは、Wikipediaで読んでください。

伝説的なエピソードを一つ紹介しましょう。升田氏は、1932年(昭和7年)2月に「日本一の将棋指し」を目指して家出しました。家出の時、愛する母の使う物差しの裏に墨で「この幸三、名人に香車を引いて勝つ」としたためました。この言葉は後に現実のものとなりました。 その独創的な指し手、キャラクター、数々の逸話により、将棋界の歴史を語る上で欠かすことができない存在です。

目次

  1. 「なる」ということ
  2. 仏の心
  3. 足りない、足りない
  4. 一手ちがい
  5. 今日のスコアは一万年も前からきまっているんだと思ってやってみる
  6. カラダが動く
  7. 凝視することによって、はじめてものが正視できる
  8. 弱い者にこそ気を遣う
歩を金にする法 (小学館文庫)
升田 幸三 小学館 売り上げランキング: 603,189

『歩を金にする法』を8つに分解

1. 「なる」ということ

将棋でおもしろいのは、「なる」ということだ。歩だと思っていたのが、金になったりする。それがわからないとえらいことになる。敵陣に入ると、ヤリでも金でも同じ資格になる。歩の場合は、何階級かあがる。銀は一階級しかあがらない。とにかく敵陣に突入したらそれぞれ出世する。そういう約束になっている。 全体的には出世させたほうがいいのだけれど、しかし大局的にみて、わざと出世させない駒もある。強くなるとこれがわかる。歩一つからみたら、不平タラタラだろう。だが歩に力を出させると困る場合がある。 世の中の場合には、わざと出世させられなかったら、不平がうんとでるだろう。各会社の運営をみて、そういう動かし方をしているところがあるようだ。エキスパート専門家といってもいい存在がある。 これは役員にせず、販売なら販売専門、給料は役員待遇をやってもいい。歩の特色を生かすのだ。そのほうが能率化する。なんでもかんでも役員にしてしまうというのは、味がないと思う。(中略)役員になっては、あまりうまく働けない性質の人もいるのだ。

2. 仏の心

将棋連盟の規定では「王手を知らないで他の手を指したとき」は禁手で負けることになっている。つまり、プロの場合は、王手を相手が気づかない場合は、王を取ってもいいわけである。しかし、元来王は取るものでなく、詰めるものである。王は取らず、相手に指す手をなくするー相手の手を詰まらせることが将棋の妙味である。 この点が、諸外国の将棋と著しく異なる点であろう。日本の将棋の根本精神は、「殺す」ことではない。争いのときは相手は敵であるが、相手の駒を取っても、その階級によってうまく使い、功あらば大いに出世もさせてやる。 ある人は、碁は、しまうときは白黒と二つのゴケに入れるが、将棋は一つの駒箱におさめ、戦い終わると敵も味方もない、といって将棋の美風を讃えた。まったく同感である。将棋は盤上の攻防は峻烈で、勝負そのものはきびしいものであるが、その精神はあくまでも仏心である。

3. 足りない、足りない

将棋の駒の動かし方についても、初心を忘れると命とりにになる。最初にならうときは、飛車はこういうふうに動く、角はこういうふうに動く、と習ったはずだ。角は飛車の半分の働きで、格がおちる。そういうことを最初に教わっているのに、忘れてしまう。 飛車は広く使えば角にまさるということを忘れて、飛車はよく働くから大事だとばかり、キズつかないようにと執着して、かえって、働かすことを忘れてしまう。しまいこんで働かさないのでは、意味がない。 飛車にお守り役までつけている。こちらがチョッカイかけると、なおおそれて護衛したりする。初心を忘れているのだ。初心を忘れ、力のないものほど、余分なもの、自分の力で消化しきれないものを大事にかかえこんだりする。 消化力もないのに、ナギナタも鉄砲も、一応欲しい。刀も何十本も欲しい。力のよわいものほど、こういう要求をする。金にたとえると、余分な金、余分な生活費がほしいということになる。 上手になってくるほど、消化できる程度しか欲しがらない。自分の活用できないものまで要求しない。駒をうんともったときは、おくれている。(中略)僕はいつも、足りない、足りないという感じをもちながら、そういうところで仕事をしてしまう。

4. 一手ちがい

勝負をするときになんでもかんでも、相手にウンと差をつけようとりきむのはよろしくない。(中略)勝負の急所は、一手ちがいで相手を倒すことにある。五手も十手もちがうというのは、どだい自分が勝負すべき相手ではない。 しかし、いよいよ詰む段階になると、つい二手も三手もひらいて勝ちたくなる。安全を願うのだが、実は一手ちがいでいいという計算が成り立つほうが安全なのだ。何手もちがわせると、欲がからんで、まちがいがある。(中略)勝とうというヨミではなくて、一手ちがいにしておこうというヨミ。勝負をつけるのではなくて、野球で言えば、同点にすがって、延長戦にもちこもうとするヨミ。 ここに極意がひそんでいそうに思う。これでなければ勝機は生まれない。

5. 今日のスコアは一万年も前からきまっているんだと思ってやってみる

あるアメリカのゴルフのプロの勝負観に、「練習の力量が本番で出ないのは勝負にとらわれすぎるからだ。今日のスコアは一万年も前からきまっているんだと思ってやってみたまえ」という意味のことがあると、人に聞いたことがある。この運命論敵な考え方も大切なことだと思う。僕も過去に、大事なながい勝負を争ったときに、先になるか、後から来るか、いずれにしても自分がぶつからねばならぬ宿命であったと思って、何回かの敗局を甘受した。 なんにしても、力量が評価されるのは、けいこではなく本番である。本番で力が出ないというのではなんにもならぬ。その人は弱いのである。

6. カラダが動く

芸の極致など極めたことがないからわからないけれど、だいたい極致的なものは、カラダでものを知っていて、そこから出てきたものにちがいない。 皮膚が知っているという、それが極致点だと思う。ところが僕など凡人は、ついアタマで考えすぎてしまうことがある。アタマで考えすぎると失敗する。(中略)皮膚で感じ、カラダが素直に動く状態、何事にもこれがいちばんいい。 一日二十四時間のうち、十時間くらいそういう状態を持続したいものだ。

7. 凝視することによって、はじめてものが正視できる

僕は凝視ということをよく言うんですがね、凝視っていうのは掘り下げることですね。凝視することによって、はじめてものが正視できるということで、凝視することを知らんものは正視できない。正視できんものが、なにができるかということなんですよ。 凝視することによって、早く吸収するということですね。なんでもないことですが。(中略)凝視する人は、短時間のうちに消化するけれども、凝視する性格でないものは、七十年やったってなかなかわからない。上っ面だけしか。

8. 弱い者にこそ気を遣う

私の人生観も弱い者に気をつかうことです。原さんは強い人だから気をつかうことはいらない。だから、たとえば車なら運転する人が弱い者だと思う。これには乗ったり降りたりするときに、「ありがとうございました」とか、「ご苦労さんです」のあいさつは必要だと思う。 そういう具合に、私が将棋をもって会得したことは、もう部課長とか上の方には気をつかうことはなく、この歩の立場にある人に気をつかわなければいかぬ、これが大事だと思うということなんです。役員とか上の方と話をしますが、こういう人には気をつかう必要はない。ところが、受付などの人には気をつかう。これに礼を失くしたりしてはいけない。これがいちばん大事だと思っております。 相手が偉い人だと、向こうが一回も頭を下げていないのにこちらが十回もも下げておるのがいるが、これはおかしいと思う。弱い者に気をつかうことは将棋から得た人生観です。

まとめ

将棋の駒に限らず、「なる」ということはよくあることです。パッとしなかった人がこつこつ努力を続け、大成する。そこに適材適所が組み合わされば、鬼に金棒の力を生みます。

逆に、昔、立派だった人が何かをきっかけにだめになってしまうという「なる」もあるのではないでしょうか。そこに個人的な原因を見出すのはかんたんですが、どうしても抗えない外因ということのもあるでしょう。プロのスポーツ選手なんかがそうですね。それも適材適所の采配によって、また日の目を見ることもあるのではないかと思いました。何とか再生工場とはよく言ったものです。

また、仏心の話、一手ちがいの話、カラダが勝手に動くの話などはさすが名人らしい考え方だなと思いました。凝視の話では、「集中」や「観察」とはまた違った表現でそれらが言わんとすることを独特の言葉で的確に言い表しています。弱い者にこその話では、素直に素晴らしいと思いました。こういうことを淡々と語るところに升田幸三の凄みが透けて見えます。

他には、「まずはやってみろ」の話や「失敗と経験は違う。初めて挑戦したことは失敗とは呼ばない」の話、「虚と実の使い分け」の話などが面白かったです。吉川英治が升田幸三に渡したという本の話は、必読です。既に絶版になっているようですが、独特の視点が新鮮で実に面白い本なので一度読んでみてはいかがでしょうか。

自習問題

  • 「なる」と「ならない」の使い分けのコツはあるか?あるとしたらどんなものか?
  • 仏の心を持たないほうが良いこともあるのか?それはどんなときか?
  • 初心を絶対に忘れないようにするにはどうしたら良いか?
  • 周りで一手ちがいの意識を実行している人はいるか?
  • 勝負に囚われないようにする方法は他にどんなものがあるか?
  • どんな鍛錬を積めばカラダが動くようになるか?どれくらい鍛錬を積む必要があるか?
  • 凝視する以外に物事を正視する方法はあるか?それはどんなものか?
  • 弱い者に気を遣わないほうが良い場合はあるか?それはどんなときか?
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